絶対にあきらめない気持ち

済々黌高校:Y・Aさん

 私が早稲田スクールに入塾したのは、中学1年の2月でした。当時、私は勉強が大嫌いで、部活が終わり家に帰ると自学を1ページだけして寝るという生活でした。そのうち、試験を受けるたびに数学の点数が下がっていき、それを見かねた母に「塾に行くけん」と言われました。勉強嫌いだった私の答えはもちろん「行きたくない」。中途半端な時期に入塾したくないという思いと、知っている友達があまりいなかったことが原因です。
 入塾当初、数学が苦手だった私は、数演のCTはいつも不合格で、学力判定テストもほとんど勉強せずに受けていたので、もちろん結果もよくありませんでした。そんな状態でしたが、中2になると講習で知り合った同じ部活をしていた友達ができました。学力もクラスもほとんど一緒で切磋琢磨できる友達ができました。行きたくなかった塾でしたが、いつも面白く優しい先生方の授業が楽しくなり始めました。それからCTでの合格が増え始め、成績も上がり始めました。そして私と友達はSクラスに上がりました。初めてのSクラス。友達とSクラスの扉を開けるとき、緊張したのを覚えています。その頃、私はバスケットボール部に所属していましたが、顧問の先生が替わり、女子も男子と同じような練習をすることになり、とてもハードになりました。テスト休みは3日程度。毎週のようにある練習試合。毎日1時間の朝練。体力的にきつくなり始め、勉強をさぼった結果、成績は下がり始めました。中3の中体連が終わり、本格的に勉強を始めましたが、「スタートダッシュに失敗したな」と私は心の中で焦りを感じていました。そこで、学校が終わると誰よりも早く塾に行きました。しかし、成績は思うように伸びませんでした。私立入試が終わり、公立受験まであと2ヵ月となった頃。私はまだ志望校が決まらず、迷っていました。不安になった私は早稲田スクールの先生に相談することにしました。
 「強い心と精神力。負けずにまっすぐ走りなさい」
これがそのときに先生からかけられた言葉でした。そのとき私は「絶対済々黌に合格してやる」そう決めました。部屋には「済々黌絶対合格」という文字を書き、貼りました。入試当日。私はあまり緊張しないので 「合格するためにここに来たんだ」という強い気持ちを忘れず、受験に臨み、無事合格することができました。
 私は自分一人の力では決して合格できなかったと思います。早稲田スクールでできた友達、いつも分かりやすく面白い授業をし、精神的にも支えて下さった先生方、両親には本当に感謝しています。私はこの早稲田スクール近見校に入塾して、心の底からよかったと思います。今までありがとうございました。

 


 

悔いのないように

Y・Aさんの保護者様より

 娘が早稲田スクールに入塾したのは、中1の2月のことでした。渋る娘を近見校に連れていったのが始まりです。その頃は、まさか済々黌に合格する日が来るとは思ってもいませんでした。
 娘はバスケット部に所属していましたが、他にも生徒会活動、習い事と多忙な日々を送っており、夏になるとさらに陸上の練習も加わって、遅刻しながら何とか通塾している状態でした。体力的にも限界ぎりぎりで、内心ハラハラしながら見守る毎日でした。部活を引退して本格的に受験勉強がスタートしてからは、勉強時間こそ増えたものの、やりたいことが沢山あり、全力で取り組めない時期が続きました。「今、何をすべきか」話をするのですが、親の思いは娘に届かず、もどかしい思いでした。そんな娘を本気にして下さったのは、担任の先生です。ある日の塾の帰り、迎えの車に乗り込むなり「今日から勉強頑張る」と宣言した娘。「何があったの?」と尋ねると「先生から皆に話があった。本気で頑張らないとって思った。」と言葉少なに話してくれました。それからはできる限り早く塾に行き、閉館まで自習する毎日。それでも成績が思うように伸びず不安になっているときは、各教科の先生方が声をかけて下さり、気持ちを立て直して、また黙々と机に向かっていました。
 志望校は最後まで迷い、濟々黌に決めたのは学校の出願締切り前日のことです。「もしだめでも、これだけやったんだから悔いはない」そう思えるように頑張りなさいと声をかけ、そして実際よく努力していたと思います。娘から合格の報告を受けたとき、その努力が報われたことにまずは胸をなで下ろしました。
 娘がこれまで頑張れたのも近見校の先生方、塾の友達のおかげです。志を同じくする友達と励ましあい、時に息抜きしながら受験勉強に取り組むことができました。「もっと早く塾に行っとけばよかった」というまでに大好きな場所になっていました。そして先生方、熱心なご指導と精神面でのサポート、細やかな心遣いに、心より感謝申し上げます。
 本当にありがとうございました。