卒業生からのメッセージ

あえて居心地の悪いところへ

PROFILE

医療法人社団やまと 理事長  田上 佑輔さん

錦ヶ丘中学在学中に早稲田スクール帯山校に在籍し、鹿児島ラ・サール高校に合格。その後、現役にて2000年東京大学理科Ⅲ類に合格。医学部に進学し海外留学の経験などを経て東京大学医学部付属病院腫瘍外科に入局。

東日本大震災での災害医療ボランティア活動を機に2013年に宮城県登米市と東京にやまと在宅診療所を創設。地方と都市部を行き来する循環型診療という新たな医療モデルを展開しながら、地域住民や行政と関り、街づくりにも取り組んでいる。

医療法人社団やまと 理事長  田上 佑輔さん

▼在宅診療に取り組む田上さんの姿を描いた
テレビ朝日のドキュメンタリー『うちのセンセイ―元東大病院医師のつくる道―』

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サッカー少年だった小中学生時代
授業についていくだけで精一杯

サッカーが好きな普通の少年だったという田上さん。塾に通ったことはなく、中学1年から早稲田スクール帯山校へ。「最初はついていくのが大変で、周りの子がどんどん解けるのが羨ましくって、彼らに追いつきたい」と思ったという。Dクラスからのスタートだった。

当時の教師によれば、目標を決めて、それに向かって努力ができる生徒だったそう。忙しくなったサッカーとの両立は大変だったが、成績も次第に向上。最終的にはラ・サール高校へ進学した。「頑張ればそこに追いつけるというのは自信になった」というが、県外へ出たのは「自分を変えたい」という気持ちがあったからだ。「今までの人生もそうですが、自分がやらなそうな選択肢を選び、その居心地の悪いところへ行くことによって、本当に自分のやりたいことを見つけたい」と思った。

また、背中を押してくれたご両親に感謝しており、今になってその言葉や考え方の大事さが分かるという。「親には、『一を聞いて十を知れ』『行間を読め』と言われました。表層ではなく、深いところまで考えることの大切さを教えられたような気がします。これは今の人間関係にも生きていて、その人の“行動”で判断するのではなく深いところにある“価値観”や“心情”まで考えるようにしています」。

ラ・サールでは最下位からスタートし、
東京大学理科Ⅲ類に現役合格

ラ・サール高校に行っても周りは優秀な生徒ばかり。「早稲田スクールの時と同じことの繰り返しで、最下位からのスタート」だった。東京大学理科Ⅲ類に現役合格するまでに力をつけたのだが、頑張ったというより「人より早くやりたい、できるだけ早くやってしまいたい」という思いが強かったそう。「何でもそうなんですけど、物事は直線的にではなく、ある時に指数関数的に伸びると思う。大気圏を突破するまで凄い大変なんですけど、突破してしまうと自分の世界観で受験やテストを迎えることができるので、全くそれに合わせる必要がなくなくなってくると思うんです」。
UCLA留学時代の田上さん(写真中央)

UCLA留学時代の田上さん(写真中央)

ブラックジャックに憧れて

「どこでも手術したり、どんな患者さんにも医療を提供できる」ブラックジャックを格好いいと思った。医師になるなら外科医と決め、心臓外科医として海外で活躍する姿を夢描くようになる。その通り、研修医になった後は東大病院の腫瘍外科に入局、海外の学会で論文を発表し、海外の病院に見学に行くなど順調にキャリアを積んでいく。

一方で、九州から出る時の「東大に行くんだったら、日本のために何かできることをしたい」という想いも忘れていなかった。手術しても治らない田上さんの癌患者が、病気を抱えながら生活をしているのを見て、手術で一流になるのではなく、そういう患者のために何かできないか考えた。遺伝子の研究や抗癌剤の治療を学びつつ、「もっと社会のことを知らなければならない」と思い、毎日様々な業界の人に会うようになる。もっと広い意味で「何かこれからの社会を変えられるようなことをしたい」と漠然と思い描いていた。

そんな時に起きたのが東日本大震災だった。
現在、外科医として活躍する田上さん(写真中央)

東大病院で外科医として活躍していた頃の田上さん(写真中央)

東大を飛び出し、在宅診療の道へ

震災2週間後には被災地に入り、「誰かの役に立ちたい」とボランティアに従事した。毎月被災地に通う中、医師不足で一番困っていると紹介されたのが宮城県北部の登米市だった。東大病院に勤務しながら登米市民病院の当直医を交代で続けていたが、2013年4月、同病院の敷地内に在宅診療所を開設。東大病院は辞めた。

在宅診療所という診療のスタイルについて、「病院や診療所の中ではなく、どの場所で、どんな状況であっても医療的に人を救うことは、僕が見ていたブラックジャックのイメージにつながった。そして、その診療方法に将来性を感じた」という。

地方と都市部を行き来する循環型診療という新たな医療モデルで地方の医師不足問題に取り組み、現在は在宅診療所を8か所と病院が1ヶ所、約400人のチームを組み、まずは東北6県に、家にいても安心して生活できる医療の提供を目指す。

『雨が降ったら傘をさす』
当たり前のことを当たり前に

素晴らしい取り組みを続ける田上さんだが、自分を未熟だと語る。「何か考えたり物事を決定する時に、どうしても色んな雑念や自分本位な考え方、自分が楽しようズルしようという気持ちが入ってくる。松下幸之助の『雨が降ったら傘をさす』という言葉が好きです。

雨が降った時に傘をさす行為って迷いがない。同じように、目の前に苦しんでいる患者さんがいたら、何かしてあげたいと思う。東日本大震災が起きた時に、東北のために何かしてあげたい気持ちもそう。そういう気持ちはとても大事だし、それを持たないと必ずズルしてしまうし、暇になると良くないことをすると思うので、そういう気持ちを持てる環境に自分が行かなくちゃいけないんです」。
東日本大震災での災害医療ボランティア活動を機に在宅診療の道へ。患者に寄り添い話をじっくり聞きながら、いかにして最期まで幸せに生きられるかを患者と共に考える。

東日本大震災での災害医療ボランティア活動を機に
在宅診療の道へ。
患者に寄り添い話をじっくり聞きながら、いかにして最期まで
幸せに生きられるかを患者と共に考える。

いろいろな人と会って、いろいろな場所を見る

早稲田スクールの後輩たちへのメッセージを聞いた。
「自分のやりたいことをやってほしい。やりたいことが分からないなら、自分が居心地の悪いようなところに出て、いろいろな人と会って、いろいろな場所を見る。その一歩を踏み出すことが重要だし、周りの大人は背中をやさしく押してくれると信じてほしい。人生を変える出会いがあると思うし、それで自分も変わってきたので」。

保護者に対しては、「今、子どもの教育は難しくて、何を学ばせるか迷われるんじゃないかと思います。先生との出会いのような自分を変えるきっかけがあるので、何を教わるか何を勉強するかよりも、誰に教えてもらうか誰と時間を過ごすのか、を親は見極めた方が良いと思います。私にも子どもがいますが、できるだけマイノリティになってほしい。同質性の高い環境ではなく、居心地の悪いところっていうか、マイノリティとして生きてもらって、その痛みを知ってもらわないといけないなと思っています」。

坂口健太郎さん演じる医師のキャラクターモデルに

NHKの朝ドラ『おかえりモネ』で、坂口健太郎さんが演じた菅波先生は田上さんがモデルだ。「脚本家の安達さんとずっと話しましたし、坂口健太郎くんとも何回も会って医師の所作などの演技指導もしました」。『おかえりモネ』は主人公に焦点を当てる通常の朝ドラとは違うという。「いろいろな人が痛みを抱えて生きている姿が描かれている。人の痛みを決して見捨てず伴走し、あたたかく背中を押してあげて一歩踏み出すきっかけを与えてくれる人が必要。また、そうやって外に出た時に戻ってくる場所も必要です。だから『おかえりモネ』なんです」。
 
「東大で教授になるとか、偉くなるとかに憧れる子どもや保護者の方もいるかもしれませんが、そこから外れたとしても、こうやって私もNHKの朝ドラで取り上げてもらいましたし、いいなと思ってくれる味方はいるので、その子の姿勢や考え方がしっかりしていれば応援してあげていいと思いますね」。

田上さんの活躍は医療の分野にとどまらない。地域住民や行政と関り、街づくりにも取り組んでいる。「今は、自分がっていうより、他の人が、いろいろな志や想いを持った人たちが、自分らしくやりたいことを形にできる、自己実現できるような場所を作りたい」という。そんな田上さんの姿は、自分に何ができるか思い悩む主人公モネの背中を、やさしくそっと押す菅波先生に重なるようだ。
都市部と地方を行き来しながらチームを組み、地方の医師不足の解消をめざしている。訪問看護、居宅介護、訪問栄養指導、訪問リハビリテーションまで行う。

都市部と地方を行き来しながらチームを組み、
地方の医師不足の解消をめざしている。
訪問看護、居宅介護、訪問栄養指導、訪問リハビリテーション
まで行う。