早稲田スクールは、「一人ひとりの可能性」を大切に、
「社会に役立つ人材」を育てています。
子どもたちが、早稲田スクールでの学習を通して得る大切なもの…
それは、高校、大学、そして社会人になっても自らを支える、自分の可能性を信じて挑戦し続ける強い意志です。
早稲田スクールで、
自分の可能性に挑戦することができました。
外科医師 田上 佑輔さん
錦ヶ丘中学在学中に早稲田スクール帯山校に在籍し、鹿児島ラ・サール高校に合格。その後、現役にて2000年東京大学理科Ⅲ類に合格。医学部に進学し海外留学の経験を経て現在は東京大学附属病院腫瘍血管外科にて専門臨床医として勤務。

初めは授業についていくのが精一杯でした。
私は現在、東京大学附属病院腫瘍血管外科にて専門臨床医として働いております。熊本市立錦ヶ丘中学卒業後に鹿児島私立ラ・サール高校から2000年現役にて東京大学Ⅲ類に合格、医学部へ進学し、国家試験合格後は外科医となり今に至ります。
早稲田スクールでは中学1年から3年まで在学しました。当時から早稲田スクールは全体的にレベルが高く、多くの同級生、友人達が在籍していました。
私は入塾時Dクラスから始まりました。初めは授業、宿題についていくのが精一杯でした。授業後も居残りが多く、友人を待たせ、皆で一緒に帰っていました。部活ではサッカー部に所属しており、部活と勉強を両立させるのが大変な時もありましたが、先生方が状況を理解して寛大に対応していただけたことは嬉しかった思い出です。
早稲田スクールは、私にとってはただ勉強する所ではありませんでした。塾の中にはお互い切磋琢磨する友達がいて、そのような優秀な生徒達と授業を受けることは刺激的なことだったのです。学生が自分の自由な時間を潰して勉強するため塾に通うことは大変なことだと思いますが、私は当時の先生方に助けられ継続することが出来ました。今思い返すと先生方には授業以上に一人ひとりの生徒をきちんと評価し全人的な教育をしていただいたと感じております。
早稲田スクールでは中学1年から3年まで在学しました。当時から早稲田スクールは全体的にレベルが高く、多くの同級生、友人達が在籍していました。
私は入塾時Dクラスから始まりました。初めは授業、宿題についていくのが精一杯でした。授業後も居残りが多く、友人を待たせ、皆で一緒に帰っていました。部活ではサッカー部に所属しており、部活と勉強を両立させるのが大変な時もありましたが、先生方が状況を理解して寛大に対応していただけたことは嬉しかった思い出です。
早稲田スクールは、私にとってはただ勉強する所ではありませんでした。塾の中にはお互い切磋琢磨する友達がいて、そのような優秀な生徒達と授業を受けることは刺激的なことだったのです。学生が自分の自由な時間を潰して勉強するため塾に通うことは大変なことだと思いますが、私は当時の先生方に助けられ継続することが出来ました。今思い返すと先生方には授業以上に一人ひとりの生徒をきちんと評価し全人的な教育をしていただいたと感じております。

UCLA留学時代の田上さん(写真中央)
これからも自分の可能性に挑戦していきたい。
私は外科医として毎日癌患者の治療に従事しています。外科手術、癌治療、海外留学、学会論文、臨床研究など世界は広く、多くの可能性があります。可能性があることに関しては中学生でも高校生でも同じことなのです。私が幸運だったのは、親の勧めで入塾した早稲田スクールという環境で良い先生方と出会い自分の可能性に挑戦できたことです。それは大人になって実感します。
今は将来について、自分が早稲田スクールで教わった姿勢を崩さずに、日本の医療、医学発展の可能性に貢献していきたいと考えています。
どの塾が良いか、どの塾に行けば成績が上がるか、どの塾の合格率が高いかはわかりません。ただ早稲田スクールの先生方が教えること、教育理念は志望校に合格する以上に、卒業後の人生を含め僕自身に大きな道を示していることを実感し感謝しています。
今は将来について、自分が早稲田スクールで教わった姿勢を崩さずに、日本の医療、医学発展の可能性に貢献していきたいと考えています。
どの塾が良いか、どの塾に行けば成績が上がるか、どの塾の合格率が高いかはわかりません。ただ早稲田スクールの先生方が教えること、教育理念は志望校に合格する以上に、卒業後の人生を含め僕自身に大きな道を示していることを実感し感謝しています。

現在、外科医として活躍する田上さん(写真中央)